宇宙と人間の霊媒師
―武内光仁の世界―展
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新世紀に未だこんなバカがいる==
武内光仁の見はてぬ〈夢〉
美術評論家 中野 中

 南国土佐に生を享けた武内光仁は、常に血を滾らせ、ひたむきさを己れの戒律として、必死懸命に生き、描いてきた。
 1997年の東京での初個展から、それまでの10余年のブランクの堰を切るがごとく、毎年個展を敢行し、グループ展、企画展、あるいは海外展に精力的に発表を続けてきた。
 すでに10代で土佐前衛派と出会い、前衛の領域での仕事を見、聞き、体験し、芸術を為すことは何にもまして苦難の道ではあるが、この生命を賭けて悔いのない仕事と思い定めた。その沸点の一つが、白木谷のアトリエと戸外で展開した一大ワンマン・ショウであり、二つめのメルクマークとなるであろう発表が、今回の美術館での個展である。
 『何を夢みようとするのか、未完成の唄』と題する油彩パネル、縦4×横幅52メートルの超大作品が中心となり、壁面をめぐる。他にもいろいろの仕掛けを用意しているようだが、要は天井高6メートルの美術館の展示空間と作品とを一体化して、全体で一つ、謂わば、武内の内在する世界、胎内宇宙を現出せしめようと試みる。
 武内光仁は生命、生きるということを根底的テーマとして、こだわり続ける。日々生きる。生きるそれ自体が時に罪つくりにもなる。人は、弱き者すなわち被害者であると同時に加害者ともなる。その苦しみ悲しみを共有しながら、そのことから目をそむけることは出来ない。個に徹して深く個を追求せねばならぬ。
 個の心と肉体が綯い交ざり葛藤し煩悶し格闘する。そこに個は社会性を持ち、自然と人間との共存共棲への課題となり、歴史的視野へと展開し、根源的生命の母胎たる宇宙へ到る。そして、そのことは再び個に収斂し、メビウスの輪の如き往還を紡ぐ。輪廻にも似た根の深い広大無辺のテーマに一貫して登場するモティフが掌(指)である。
 掌(指)とは、生きて在る証であり跡である。生きて在ることのすべて、即ち個人史のすべてが掌の相となり指(紋)は個そのものである。これらは生きとし生ける者すべてに固有する。掌及び指はすべて個(己)の内面に向かい、再び外へ向かって放射する。そこにミクロとマクロの往還が生まれ、同居共存することになる。結果、画面に深さと拡がりがダイナミックに生まれてくる。大画面をうねり走る血管のごとき動脈、掌紋や指紋の本体となる巨大な指や爪。空間も含めて巨大な画面いっぱいに何千何万もの掌紋が埋め尽くされる。その涯ての見えないうねり、数知れぬ厖大な量。掌を絵具だらけにして一つひとつ押印していくその繰り返しの、思いも及ばぬ時間の堆積。
 効率・合理化をお題目とするデジタル化社会の現在に、見はてぬ夢をひたすらに追い、みずからに正直に、途切れることなく、無窮へ向かって押印しつづける肉体と精神。放胆な視点・発想、緻密な思考回路を支える肉体労働。キャンバスに対峙する精神バトル。それでさえも〈未完成の唄〉と言い切るしかない芸術の宿命。
 壮大な気宇に敬意をこめて〈こんなバカが〉と呼ぶしかない。

 

■ 4月1日(木)〜6月29日(火) AM10:00〜PM5:00(休館日 水曜日
■財団法人 池田20世紀美術館 
〒414-0052 静岡県伊東市一碧湖けやき通り
TEL.0557-45-2211 FAX.0557-45-2212
http://www.nichireki.co.jp/ikeda/
「何を夢みようとするのか―未完成の唄」(部分)
製作中 W52m×H4m パネルキャンバス貼 油彩